故郷は、岩手県紫波(しわ)町。「岩手のために何かできないか、っていう思いがあった」。2010年に青葉警察署に配属されて1年。生活安全課少年係で、非行少年の取り調べや小学校での非行防止教室に奔走するさなかに起きた震災だった。「最初は機動隊が派遣されていたが、足りなくなってきたようで、各署に応援要請が来た」。迷わず志願し、震災から5カ月後の8月15日から2週間、被災地への出向が決まった。
出向先は、大津波で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市。沿岸部を走る三陸鉄道南リアス線は全線不通のまま。道路は先に復旧し、通過はできるものの凹凸が激しく、信号機は稼働していなかった。家は少なく、更地の多さが目に付いた。「人が少しいてお店もやっていたりして、少しずつ復興に向かっているような印象だった」と当時を振り返る。現地では、車両での市街地パトロールと、遺体安置所となった大船渡市体育館の夜間警備にあたった。
小学生の頃、柔道の試合で訪れた体育館。津波で窓ガラスが流され、ベニヤ板が打ちつけられた姿にかつての面影はなく「まるで廃墟」。名前が残った看板を見るまで同じ場所と気づかないほどだった。身内なのか知り合いなのか、遺体を探しに来る人が訪れ、探す相手の特徴を現地の県警に説明するのを傍らで聞いていた。2週間の間にも2体、遺体が上がった。
「災害は目の前に」
あれから4年。実家には年に1回帰るが、被災した地域にはなかなか足が向かない。「復興が進んでいるか、見るのが怖いような気がして」。避難誘導で亡くなった警官もいた、と聞いている。想像以上の事態が起きたとき、自分に何ができるか―。「何もできないかもしれない」と厳しい表情をみせる。「日本にいる限り災害は目の前にある。それを頭に置いておかなければ」。大災害の現場を目の当たりにしたその経験を糧に「何かあったら役に立ちたい」と力を込めた。
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