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青葉区版 公開:2015年6月25日 エリアトップへ

「全員、生きてこそ」 【3】桂台・松浦進さん(下)

社会

公開:2015年6月25日

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初陣当日に着ていた少尉の制服=本人提供
初陣当日に着ていた少尉の制服=本人提供

 毎日のように特攻機が出撃していた1945年3月の鹿屋航空基地(現・鹿児島県鹿屋市)。特攻隊の拠点を破壊するために米軍機が襲来すると予測されていた18日、前夜に部下たちと最後の晩餐を過ごした松浦進さん(91)は、朝5時に部下への訓示を行った。「たとえ隣の者が被弾しようとも、絶対に持ち場を離れるな。ケガ人が邪魔だったら放り投げてでも、弾がある限り機関銃を撃ち続けろ」

 当時は「御国のために」と命を懸けるのが当たり前の時代。松浦さん自身は志願兵だったため「戦場で死ぬのは仕方ない」と考えていた。しかし「赤紙で招集された(家族がいる)部下たちは、できれば死なせたくなかった」。語気を強める。

 松浦さんの部隊(松浦隊)の砲台は、機関銃6基で360度に対応するもの。1カ所でも撃つことができなくなれば、敵機はその方角から攻めてくる。「1人でも多く生き残るためには、撃ち続けるしかなかった」。鹿屋に配属されて約9カ月。砲台の設営や空爆を想定した訓練を日々繰り返していたが、実戦は初めてだった。

 6時。張りつめた空気を見張りの声が切り裂く。「敵機発見。高隈山方向」。飛行場めがけて飛んでくる米軍機に対して、一斉に発砲を開始した。敵機が落とす爆弾の爆発音、味方の機銃音が響き、瞬く間に辺りは火の海と化した。「撃っているときには恐怖心はないが、見ていない角度から撃たれると本当に怖かった――」

 30分ごとの波状攻撃は、夕方まで続き、松浦隊は敵機1機を撃墜、戦死者ゼロだった。「墜落した敵機を皆で見に行って、バンザイしたよ」。隊員たちの表情は、晴れ晴れとしていた。この日、1450機もの米軍機が襲来したと知ったのは、戦後何年もたってからのこと。「全員、無事だったのは奇跡。本当に運が良かった」

 仲間同士の交流は続き、終戦43年後には部下の発案で温泉旅行「鹿屋会」を開催。この集いは8回続き、鹿屋基地を訪れたこともあるという。「全員が生き残ったからこそ、その後の関係につながった」。部下は皆すでに他界しているが、松浦さんの3月18日は毎年、静かに訪れる。
 

戦後70年 語り継ぐ戦争の記憶

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