ラグビー元日本代表で母校・日本体育大学のラグビー部監督に就任した 田沼 広之さん 鴨志田町在勤 42歳
楕円球から学ぶ「思いやり」
○…「OBの一人として、強くなってほしいという思いはずっと持っていた」。近年は低迷が続き、2年前には入替戦で敗れて同部として初めて2部リーグに降格した。悶々とした気持ちが募っていた昨年の夏、学長から直接要請を受け、決意。「監督として、先輩として、自分の経験を伝えながら、喜びや悲しみを学生たちと共有したい」。2大会に出場したW杯はもちろん、社会人としての経験などを自らの言葉で伝えていく。
○…自身の入学当時、ラグビー部は約200人が在籍する大所帯だった。「まずは名前を憶えてもらわないと」目をつけたのが練習の合間に行われる「ヨンパチ(400m走と800m走)」。「元陸上部だから走力には自信があった」と常に全力で取り組み、ほぼ毎回1位を取った。また、5軍から8軍を行き来し、練習試合があれば1日に2、3試合は当たり前。「おかげで1試合が短く感じられるようになった」。試合終盤でも衰えない運動量は、こうして培われた。2年の春に初めて1軍に抜擢された試合で活躍し、レギュラーに定着。4年時には所属リーグで優勝を果たした。
○…「最高だった」と振り返る99年のW杯ウェールズ大会。開催国との試合は、今でも鮮明に憶えている。朝、ホテルを出ると街中がウェールズ国旗の赤一色に染まっていた。「こんな国の代表になりたい――」。スタジアムは8万人近い観客で埋め尽くされ、試合前の国歌斉唱では風が吹いた。「観客の声で風が吹く。初めての感覚で鳥肌が立った」。語る口調も高揚する。19年のW杯日本大会の親善大使は「あの興奮を日本でも。みんなに体験してもらいたい」と強く願う。
○…母校の監督に就任したことで、夢がもう一つ増えた。「19年W杯に教え子を送り出したい」。そのために「ラグビーをする上で最も大切で、社会でも通じる」と語る「サポート精神や思いやりの心」を持って部員たちと向き合う覚悟だ。
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