青葉区版 掲載号:2017年3月9日号

振り返る東日本大震災

「心にとげ」両親失い6年 社会

つつじが丘在住 瓦田さん

感じた異変

 「今まで感じたことのない鳥肌と寒気があった」。2011年3月11日、当時川崎市内の歯科医院で勤務をしていた瓦田全(あきら)さん(49)=写真=は、2回にわたって感じた異常と不吉な予感、そして時刻を覚えている。午後3時25分と3時47分。最初の時刻は実家がある岩手県釜石市を津波が襲った時間だったと後で知った。

 午後の診察を開始して少し経った頃に発生した東日本大震災。診察は中止となり、テレビは繰り返し津波の速報を流している。実家は港から500mほど離れた場所に建つ瓦田歯科医院。電話はつながらず、不安だけが増していく。両親と同居する姉とも連絡はつかず、翌日も情報が入らない。現地に行くこともできずに時間は過ぎていった。

 鉄筋コンクリート3階建ての実家を襲ったのは11・7mの津波。運良く難を逃れた姉が13日に実家の様子を確認すると、倒壊こそ免れていたが、瓦礫で埋まり、両親の所在も安否も分からなかったという。名簿確認のために避難所を回る姉や親戚から現地の様子も伝わってきた。瓦田さんは診察を続けながらも、気が気でない思いだったと振り返る。

 「どこかで生きているのでは」との思いもむなしく、両親が見つかったのは19日のこと。20人の自衛隊員が重機で実家の瓦礫を取り除くと、歯科医だった父と身体が不自由だった母が、折り重なるように発見された。寒さが厳しい季節、服を重ね着し、靴下を二重三重に履いて階段を上がろうとしていたところだったという。享年77歳と73歳。亡くなった時刻は分からないが、異様な感覚があったあの時だったのでは、と瓦田さんは思っている。

消化できない思い

 現在は区内に「藤が丘デンタルクリニック」を開業し、日々診察にあたっている瓦田さん。今でも「向こうで勤務していたら、助けられたんじゃないのか」という悔恨と「自分はこっちにいたから助かったんじゃないのか」という思いがせめぎ合う。両親の死に「ほぼ整理はつきました」と話す一方で、「心のどこかにとげが残っている」という言葉に消化できない思いが垣間見える。未だに両親の遺影は飾れずにいるという。

 「悲しいけれど、自分も周りも当時の思いは風化していく。あっという間の6年だった」。そう胸の内を明かす。あの日から人生は変わり、心の底から笑うことがなくなった。今でも磯の匂いをかぐと、思い出すのは瓦礫の山。「一歩ずつ乗り越えなきゃと言い聞かせている」。一番後悔していることは、親孝行ができなかったこと。様々な思いを胸に、毎年3月11日は仏壇の前で酌み交わすようにお酒を飲むことにしている。

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