青葉区版 掲載号:2017年3月16日号

振り返る東日本大震災

「帰りたい」望郷の念募る 社会

区内在住 小林文子(ふみこ)さん(84)

 「地震や津波は仕方がない。命を亡くした人もたくさんいるんだから」。呟くようにそう話す。津波の甚大な被害を受けた、宮城県亘理郡山元町から避難してきてまもなく6年が経つ。

 熊本県に生まれ育ち、就職のために上京。結婚後、夫の仕事で宮城県仙台市へ移り住んだ。長く暮らしたのちに「終の棲家」として選んだのが山元町だ。夫を亡くし、一人暮らしの自宅でその日を迎えた。

 震度6強の地震が襲ったのは体調を崩し、こたつで横になっていた時。「もうグラグラ揺れて。つっかけで隣の空き地に走って逃げたの」。向かいの家のおばあさんとその孫娘と3人で、大きな木の株にしがみついて揺れを凌いだ。3分後には大津波警報が発令。避難所の中学校を目指した。車に乗った若い女性が「乗りなさい!」と声をかけてくれたといい、道すがら山から見た光景が忘れられない。「真っ黒い津波がいくつも来ていた。あんな大きな波じゃ全部持っていかれる」。体育館に着き、そこで別れた女性の顔はついに見ずじまいだったことに、後で気づいた。向かいの家のおじいさんは「助けて」と柱につかまったまま離れず、津波で亡くなったと聞いた。

津波の爪痕深く

 避難生活の中で自宅の様子を見に戻ると、家の前に電柱が倒れ、壁には穴が開いていた。室内は天井近くまで泥にまみれ、押し入れに積んでいた衣装ケースもお茶の道具も流されていた。夫の遺骨を預けていた寺の住職には「お骨が流されてしまった」と告げられた。「不思議と悲しくなかった。必死だったのね。どうやって立ち直ろうか考えていた」。道路が復旧し、居場所を探しあてた娘夫婦が横浜から車で迎えに来たのは4月1日のことだ。足の踏み場もない床から、位牌だけは娘が見つけてくれた。

    ◇  ◇

 「帰りたい」とぽつり。山元町の災害公営住宅に申し込み、住む家は現地にあるが、高齢な母を1人で帰すことを娘たちが心配しているという。「皆にお世話になっていて本当にありがたいけど、やっぱり戻りたい。友だちもいる田舎で、静かに暮らしたい」。望郷の念を胸に、7度目の春を迎える。
 

被災後の自宅の様子=2011年4月撮影
被災後の自宅の様子=2011年4月撮影

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