村田要さん(85)=美しが丘西在住=は、1947年の山内中学開校と同時に入学した1期生。開校直後は山内小学校の一部を間借りして授業が行われており、制服もなかった。戦後で物資が少ない時代だったため、祖父母が作った藁草履や、生地が切れやすい鞄を身に着けて通学していた。昼食はアルミのお弁当箱にご飯と梅干し、沢庵が数切れ。使い続けるうちに、弁当箱の梅干しの部分に穴が空いてしまったという。
思い出を尋ねると「先生に怒られたことはよく覚えているね。軍隊にいた先生に平手打ちにされたことがあって。指の跡が頬について痛かった。今ではあり得ないけれど」と懐かしむ。他にも「音楽の授業の時、先生の前で当時の流行歌を真似してこぶしをつけて歌ったら『何だ、その歌い方は』と怒られた」と笑う。
農業の授業もあり、教員と生徒で畑を作っていた。「収穫したじゃがいもを、すぐにふかして、塩をつけてみんなで食べたこともあった。美味しかった」
放課後は、家の畑仕事の手伝い。「家に帰ると、父がリヤカーに堆肥を積んで家で待っていて。働き手として期待されていたのだろうけれど、宿題をする時間もなくて」とつらい思い出も。
山内中に通ったのは1年だったが「戦後で混乱が続く中、密度の濃い時間を過ごせたと思う」と語った。
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