6月に青葉区商店街連合会の会長に就任した 目黒測(はかる)さん すみよし台在住 76歳
生涯現役で町と生きる
○…飲食店、商店など約760店が参加する青葉区商店街連合会の会長に就任。桜台商店会の会長も務める傍ら、全体の舵取り役となった。「丁重に断ったけど『稼業も世代交代したから大丈夫でしょう』と薦められて」。区民まつりなど会の活動に加え、「自治会やこども会などと協力し、区内の魅力を発見する取り組みもしたい」と意気込む。
○…北海道出身。実家は農業をしていたが、「朝から晩まで泥まみれになるのが辛くてね」。軍隊出身の父親はスパルタ教育。「よく叩かれた、叩かれ過ぎて、あだ名が『太鼓』だったよ」。家族総出の「農家が嫌でね」、父と違う仕事を求め20歳の春に家出。「外国に行く夢を叶えたくて」と、通信士の専門学校に入学した。無線通信士の資格を取り、22歳で海上保安庁に就職。同庁の制服に憧れていたが「着る機会はほぼなくてね、普段は作業着で農作業と変わらないくらい汚れたよ」と苦笑い。さらに「金槌で、船酔いも酷くて」、8カ月で辞めることになった。
○…海上保安庁の上司の紹介で入社した三菱電機では、札幌、横浜、丸の内、名古屋などで勤務。エレベーターを扱う昇降機課で、清水、大成、大林などの大手建設会社へ営業に。「当時運転免許を持っていたのが自分だけ」で、大切な接待の送迎をやることも。その後経験を生かし、37歳で独立。「この字はなかなかもらえないですよ」。三菱の『菱』と、故郷の北海道・豊似の『豊』を取り、「菱豊電機」を設立した。
○…会社設立とともに桜台商店会に所属。以来38年、桜台のために活動をしてきた。その一つが「桜台夏まつり」だ。「夏休み行くところのない子どもに盆踊りを踊って欲しい」と祭りを企画。余った配線などを利用し、電灯や櫓(やぐら)を自作した。桜台を離れた人から『帰省を合わせたいので祭りの日程を知りたい』と問い合わせがある夏の風物詩に。「体が動く限りは、こういう伝統を続けていきたいね」
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