柔道・元日本代表の総合格闘家で、つつじが丘に道場を開いた 小見川 道浩さん つつじが丘在勤 39歳
柔の道を己の色に
○…「将来的には自分の道場を持ちたい」という20代の頃からの夢を実現し、自らの名前を冠した柔道と総合格闘技を教える道場をオープンした。柔道の強化指定選手として国内外で活躍し「柔道によって心身の強さが培われた」と語る。現在、取り組んでいる総合格闘技の経験も合わせ、「攻める気持ちを持ち続けることの大切さ」を教えていく。
○…五輪出場を目指していた柔道の現役時代。目標にしていたアテネ五輪の選考会で、後に金メダリストとなる内柴正人選手に延長戦で敗れた。判定が覆り、つかみかけた勝利を逃した一戦に「悔しいというより、完全にあきらめた」。その後、「柔道だけでは物足りない」と、以前から興味を持っていた総合格闘技の世界に飛び込んだ。打撃と寝技のあるPRIDEやUFCに参戦し、柔道とボクシングなどの立ち技を組み合わせた「NEO柔道」という独自スタイルを確立した。
○…柔道を始めたのは6歳の時。「ロサンゼルス五輪で山下泰裕先生を観て、すげーかっこいいと思った」。すぐに父親に頼み、近所の道場に入門。実はその道場は全国有数の強豪だった。「勝負に厳しかったけど、愛が伝わってきた。おかげで高学年になり徐々に強くなった」と懐かしむ。当時の経験は、子どもたちに教える立場になった今に生きている。子どもには、自分で考えることの大切さを口酸っぱく伝えている。「『なぜ投げられたのか』『なぜ勝てたのか』と考えることが成長につながる」
○…「全然まだ戦える」。歳を重ね、周囲が「引退」の2文字を口にすることが多くなった。道場を持ち、教える立場になったことで「僕も戦う。一緒に戦うことで自分も成長したい」と現役への思いはより強固に。現在は道場の運営に奔走しているが、日々のトレーニングは欠かさない。「悔しさや嬉しさ、いろんな思いを子どもたちと共有したい」。まずは地に足をつけ、地元にNEO柔道の種をまく。
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