その日の前日は、奇しくも横浜にいた。「同級会があってね。中華街でお土産を買って車で帰ってきて、次の日は疲れて昼寝していた」。福島県富岡町の、一人暮らしの家を大きな揺れが襲ったのはその時だ。「グラグラ、なんてもんじゃない。ドーン、ガーン!って、尋常じゃなかった」と振り返る。本や食器が次々に落下、震動でドアやピアノが動き、今にも倒れそうなテレビとガラスの飾り棚を両手で必死に支えた。防災無線でけたたましくサイレンが鳴り響き、窓から見える自宅近くの中学校にはみるみるうちに人が集まった。「避難所だったが、人が多すぎて体育館に入りきらなかった。皆座ることもできずに立ちっぱなしだった」
富岡町は福島第一原発から20Km圏内に位置し、全町避難が現在も続く(3月9日時点)。木幡さんの自宅は第一原発から直線距離で7・5Km。震災以降は千葉県や京都府を転々とし、下の息子が住む青葉区に落ち着いたのは3年前。現在は荏田北に暮らす。「病院が近いし遊びに行くにも便利。住みやすい」と笑顔をみせる。「最近絵の教室に通い始めた。楽しまないとだめだ、と思って」。青葉区社協が催す避難者のためのサロンにも積極的に参加する。
「負けたら終わり」
「重いものがのしかかってくる気がして」ふと、無気力に襲われることがある。「でも、負けたら終わりだ」。意識的に外に出ていく生活の影には、そんな思いがある。震災後から心情を綴り始めたノートは10冊目になった。除染の状況や雑記など、日々思いついたことを気ままに書く。「子や孫がいつか『じいちゃんはあの時何を思っていたのか』考えることもあるかと思ってね」。50年以上暮らした富岡町を離れ4年。所有する2軒の家屋のうち、1軒は解体が決まった。帰れないし、帰らない。「街が消える」とぽつり。「自分の家やふるさとは心の置き所。そこが壊れてしまった」。それでも、状況に対応するしかない。「日々闘いだよ」
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