画用紙いっぱいにクレヨンで描かれた「ありがとう」の言葉とキャベツの絵。「こんなの見ちゃうと、やめられないよね」と目を細める。震災後の5月から、被災地に収穫したキャベツを無償で送り続けてまもなく4年。学校便りや教育委員会からの礼状、キャベツを使った給食を頬張る児童の写真などは寄せられていたが、昨年9月に初めて子どもたちからのハガキを受け取った。「気持ちが届いているといい。自己満足でもいい」
大学卒業後、定年まで勤めた消防署を退職し、家業の農家を継いだのは2010年のこと。翌11年の震災発生後、よく育ったキャベツが「役に立つかも」と考えた。当時、宮城県気仙沼市で消防長を務めていた消防大学校教官時代の教え子を通じ、災害対策本部に打診したところ「新鮮な野菜が手に入りにくい。ぜひお願いしたい」。初夏へと移り変わる5月半ば、被災者の間で不足していたという衣服を段ボール8箱分集め、郵送したキャベツが到着する頃に車で現地へと向かった。震災から2カ月半。新聞やテレビで見るのとはまた違う惨状に「カメラのシャッターも押せなかった」。
南三陸消防署も訪れ、20mほど流された橋げたや潰れた出張所を目にし、津波の威力を思い知った。「実際に見たから余計に、何かしなくちゃ、と思った」。キャベツは被災地のために作ろう、と決めた。
翌年は原発事故で被災した福島県南相馬市へ、13年からは避難から戻り、小・中学校が再開した広野町にも提供を始めた。教育委員会を通じ、各校で給食に使われており、新鮮なためサラダなどになることが多いようだ。子どもの口に入るものだから、なるべく無農薬というのが信条。外側を1〜2枚むき、一つひとつに水をかけて虫を落とし、家族総出で箱詰めする。200個を超えるその収穫作業は容易ではない。「いつまで続けられるかわからないが、健康なうちはやめられない。10年は続けたい」
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