「21世紀の郊外住宅のお手本」掲げ 長津田特定土地区画整理事業の軌跡
今の長津田みなみ台エリアの土地区画整理事業の話がはじまったのは今から約40年前の1972年のことだった。
この年、住宅・都市整備公団首都圏都市開発本部・長津田地区担当部所(=以下公団)が地域の地権者向けに説明会を行い、住民たちは開発の話を耳にすることになる。
この時、住民代表による土地区画整理審議会の設置にあたり、土地の権利を有する地域住民代表の11人が公選で選出された。そこに3人の学識経験者が選ばれ、14人が権利者の意見を事業に反映するべく諮問機関を結成した。
土地区画整理事業は、事業に必要な土地を地区内の地権者が少しずつ出しあうことで、道路や宅地、公園など開発に必要な土地を確保する仕組みになっている。この割合を決定する減歩(げんぶ)にはとても多くの時間が費やされた。
「宅地も道路もゆったりと広くとりたいという設計だった。何度も審議を重ねながらそれぞれの配分を決めていった」。審議会メンバーのひとりとして開発を見守った近藤光男さんは当時を振り返る。
ほかにも自然環境に関する生態系調査や商業施設に関する計画、防災対策など新たな街を一からつくるのに必要な審議を重ねた。この時行われた審議会の回数はじつに50回をこえる。とてつもない時間と労力をかけ、少しずつ「長津田みなみ台」はつくられていったのだ。
「都市ガスもまだ整備されていなかった。本当に一からつくっていく、という感じだった」
「長津田みなみ台」という名前は平成15年頃、住民の公募で決められた。「くぬぎが丘」や「みどりが丘」などいくつかの候補の中から「みなみ台」という案が浮上したが、古くからこの地域の総称として使われていた「長津田」の地名を未来に残したいという住民の意見から、ふたつを合わせた「長津田みなみ台」という名前に決まった。
計画には当初から広大な運動公園と緑道の設置が盛り込まれていた。豊かな自然と近代的な郊外住宅の共存を目指す同プランは、今日の街にほぼそのままの形で反映された。
「緑の確保は、当時の多くの地権者、そして住民たちが重要視したことのひとつ。エリア内につくられた4つの公園には住民たちにより愛護会が立ち上げられ、今日も活動してくれている。住民同士手を取り合ってこの緑を守っていけたらと思う。そういう意味で開発はまだ終わっていないのかもしれない。何十年後、良かったという姿にしていけるよう、世代を超えて街づくりに取り組めたら」
御前田自治会ではこの11月にも、「長津田みなみ台緑道」の愛護会を立ち上げる予定ボランティアを随時募集しているという。
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今から始める相続の準備9月1日 |
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