篠原町在住大和さん 「気分は最高だった」 東京オリンピックで料理担当
7月27日から始まるロンドンオリンピック。世界から各種目の精鋭が一堂に介し、日ごろ鍛え上げた技のすべてを出し尽くす。日本選手の活躍を期待している人も多いだろう。今を遡ること約50年前となる1964年。日本経済発展の起点となった東京オリンピックが開かれた。大会開催中、代々木に設置されていた選手村で料理を担当した経歴を持つのが篠原町在住の大和(やまと)丈司さん(76)だ。大和さんに当時の気持ち、思い出などを聞いた。
「いやー気分は最高だったね。興奮状態だった」
大和さんは目を細めながらこう振り返える。
1935年福岡県で生まれた大和さんは、高校卒業後18歳で上京、横浜・山下町のフランス料理店を振り出しに料理人の道を歩み始めた。その後イタリア人やハンガリー人が経営する店を経て、ドイツ人が経営する店で腕をふるっていた29歳の時、大きな転機が訪れる。西洋料理の料理人で組織される日本司厨士(しちゅうし)協会会長を務めていた、資生堂パーラーの高石英之助シェフから「東京オリンピック選手村で料理を作ってみないか」と誘われ、帝国ホテルの村上信夫シェフを紹介される。2人の協力を得て、オリンピックという”夢の舞台”で、活躍するチャンスを手中におさめた。
選手村食堂には、日本中の有名ホテルから300人を超える料理人が集結し、世界各国の選手に美味しく栄養素が高い料理を提供する重責が担わされた。大和さんの胸は高鳴った。「日本中から注目されているオリンピック。こんなすごい場所で思う存分仕事ができる。この機会に一緒に働く仲間の優れた技術も自分のものにしよう」と決めていた。
日本での五輪開催期待 大和さんが思い語る
選手村食堂は、桜食堂、女子食堂、富士食堂に分かれて設置された。それぞれの料理長は、ホテル・ニュー・グランド、帝国ホテルなど一流の料理長が務めた。
大和さんは、桜食堂を担当。鶏のロースト、鶏のフライ、サーモンステーキ、牛ステーキなど事前に組まれたメニューレシピをもとに次から次へと料理を作っていた。さらに朝・昼・夜と定刻で開く食堂のほかに、朝から深夜まで営業する「インターナショナル食堂」が桜食堂内に設けられたことから、大和さんは「インターナショナル」を受け持つことに。休みなく1カ月以上キッチンに立ち続け、レシピ以外の料理もこなしていったという。
宗教上の理由や生活習慣の違いにより、苦情を受けたことも。ケニアやガーナ、コンガの選手からは「オレンジジュース、パイナップルジュースがもっと飲みたい」「肉がちょっとでも赤いと食べられない。よく焼いて欲しい」「目玉焼きの黄身が生焼け。しっかり火を通して」など様々なリクエストを受け、「色々な声があるよね。びっくりしちゃったよ」と思い出し笑いを見せる。
未来の扉開く
その後の大和さんは、ホテル料理長、大手企業の調理指導や商品開発の責任者へとステップアップを繰り返していく。現在も現役で商品開発などを担当し、料理人となって60年の間に培った様々なノウハウを次世代に伝えている。
大和さんは「東京オリンピックは私の未来への扉を開いてくれた。発展途中だった日本経済も大きく活性化された。まもなくロンドンで開催されるけど、日本でオリンピックをまた開いて欲しい。もう一度活気を取り戻したいね」。
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