都筑区版 掲載号:2017年9月14日号
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大正末期から昭和の北山田から 第9回都筑区の歴史を紐解く文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)

共同出荷

 北山田の野菜出荷組合は盛大であった。八十名の組合員で野菜の共同出荷が行われていた。東京大崎、蒲田市場が主であった。

 農協のトラックで一日置きに朝六時に芝生の出荷場に持ちより、当番五、六名が積み込みから精算まで各戸に仕切伝票を配布して行い、帰宅は午後早くても三時頃になっていた。野菜を詰める箱も共同で購入、役員が割当配布したが、農作業の合間に行っていたので、担当役員は大変でした。

 トラック輸送の前は三輪車で運び、荷が多すぎて道中坂が上がれず、バックして後押しをしながら運んだ。現在なら積載違反で処罰物です。

 夏はトマト、茄子、キュウリ、スイカが主な物で、秋冬は柿、山芋、カブ、白菜、大根、レンソウ、小松菜、春はエンドウ、竹の子、椎茸、ねぎと、四季を通じて出荷は切れなく続いた。

 近隣では一番の組合であったが、役員の献身的奉仕があったからこその実績と思う。

 共同の難しさは、お互い理解しあい、競って気ままな発言や行動を慎しむことで、目的のために協力したのが成功した要因と感じた。

椎茸栽培

 酪農は落農だと言われるくらい過酷な労働が強いられたのか、私の右手の握力が急になくなってしまい、湯飲みも持てなくなった。

 家族会議を開き、急遽、酪農をやめることになり、千年(ちとせ)の業者に乳牛を引き取ってもらいましたが、廃業ということで、二束三文でした。

 廃業した当時は朝四時になると目が覚め、庭に立ち、酪農の癖がなおらなかった。

 時間が自由になり、ようやく人並みの生活に戻ったが、妻には大変な苦労をかけた。

 その後、牛舎を利用して椎茸栽培を始めた。港北で三十名くらいおられて、中川では十二名の栽培者がいた。いつも研究しあい、原木の共同購入をした。原木は夜中にトラックで運搬されてきたが、トラックから一本づつ降ろすのが大変で、家族総出で手がない時は近所の人を頼んで作業した。一台八千本は積んできた。

 年間通して出荷できるように、春、秋、夏、冬用の椎茸を栽培していた。春、秋は自然の気候で出るが、冬は暖房し、夏は冷房して栽培した。冷房は自動車のラジエーターを取り付け、扇風機を回して冷房室にした。菌を植えるのは、近所の方に手伝ってもらい、一ヶ月はかかった。

 菌を植えてから二年は養生して三年目からようやく椎茸が発芽してくる。ほだ木(原木)は出荷に使えるのは三年くらいであった。

 収穫した椎茸は百グラムづつ網の袋に詰め、川崎市場まで夜中に出荷した。栽培も軌道に乗り、五万本栽培までこぎつけたら、ニュータウンで放棄、全滅してしまった。

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