県ベスト4で関東大会出場を逃した昨秋、心に誓った「日本一」の夢―。
7月30日、第95回全国高校野球選手権神奈川大会決勝で平塚学園は宿敵・横浜高に0―3で敗れ、エースで4番打者、熊谷拓也投手(3年)=瀬谷区出身=の最後の夏が終わった。「八木(崇文)監督のおかげでここまで成長できたので、何としても勝って胴上げをしたかった」と悔しさをにじませる。
基礎 瀬谷シニアで
野球を始めたのは小学3年のとき。友人に誘われ、少年野球チーム「スモールベアーズ」に入った。5年生から投手に転向して以来、マウンドに立ち続ける。中学時代は瀬谷リトルシニアに所属。先輩が引退するまでグラウンドにも入れず、試合に出られない日々が続いた。1、2年の大半を基礎練習に費やし、ボールを持たない日もあった。
「体力よりも精神的に辛かった」と振り返る。そんな沈む気持ちを奮い立たせてくれたのが、両親の存在だった。毎朝かけてくれる励ましの言葉を胸に、「中途半端なままで辞めたいとは言えなかった」。3年時にはエースとして関東大会出場を果たした。「この前は籾山(伊佐夫)監督が球場に足を運んでくれた。今度は自分がシニアの練習に顔を出す」と、感謝の気持ちを忘れない。
中学2年の秋に平塚学園の練習場を借り、八木監督から指導を受けたことがきっかけで同校に進学。寮生活のため、監督からは野球の技術だけでなく礼儀や規律でも厳しい言葉をかけられてきた。「勝ちたいという思いが第一にあった。仲間とその気持ちを共有しながら、困難を乗り越えてきた」と胸中を明かす。「監督を信じてきたから辛い練習にも耐え、試合でも勝てるようになった」と恩師への思いも強い。
チームメートや友人からは「くま」の愛称で呼ばれ、自他ともに認める「いじられキャラ」の一面も。「今後も野球を続けて、お世話になった人に恩返しになるような活躍をしたい」。屈託のない笑顔を見せる一方で、熱い心を内に秘める。野球人生は始まったばかりだ。
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