商店街の「生き字引」 食器の丸徳 森川和明さん
「(一代目で)未だ現役でやってるのは自分と出嶋さん(大番)くらいかな」。と話すのは「食器の丸徳」の森川和明さん(78)。
希望が丘で「丸徳」を開業したのは今から47年前、1967年のこと。以来約半世紀、常に店頭に立ちながら街の変化を見つめ、感じてきたという。
丁稚奉公から独立するにあたり、鶴ヶ峰の不動産会社に紹介されたのが希望が丘。当時は分譲が始まったばかりで更地だったため、「本当にここで商売になるのかなと思った」と語る。開発が進み、住宅が増え「物を売る店」も増えていったという。しかし、「良かったのはバブルの時くらいまで」で、現在は多くが閉店している。「後継者がいないし、いても跡を継がない」と声のトーンが落ちる。
再び元気な商店街を
「個人の力では限界がある。商店会とかみんなで協力してやらなければならない。何もしなければ、そのままだから」と、今も協力を惜しまない。「今の若い人たちは一生懸命やっている。手伝いができれば」と、お祭りでも、テーブルの貸し出しなどを行うという。
商売の極意を「細く長く、コツコツとやること。じゃないと、どうしようもない」と話す。今も病院に行くのは歯医者くらいで、健康そのもの。「商売をやっているからこそっていう面はあるね」と笑顔が弾けた。
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