地域の要は製糸 明治〜昭和に繁栄
本郷地区周辺は桑の栽培に適した土地で、かつて養蚕業が栄えた。
明治〜昭和初期にかけて付近に製糸工場が建ち並び、製糸業が盛んに。中でも、「本郷館製糸場」は周辺の製糸場で最も長く稼働。大正時代に川口製糸株式会社と名前を改めた後、1960年頃まで製造を続けていた。
同製糸の品質は国内でもトップクラス。製品は全てアメリカへ輸出していたほどだった。
地域の人たちが働き、地域の原料を使って糸をつくり、企業が繁盛する。製糸場は地域活性化の相乗効果をもたらしていた。
最盛期、従業員200人を超え、全員が製糸場内の寄宿舎で生活。場内は広大で、商売繁盛の神を祀った稲荷神社や畑、スポーツ施設、女性従業員がマナーや教養を勉強する学校もあったという。
現在も、本郷一丁目の川口邸には、製糸場の門が残されている。
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