駅からいずみ遊歩シリーズ26 泉(オアシス)探訪 通信隊から立場駅 ※協力・オアシス21世紀の会
通信隊から北へ間もなく、高砂苑バス停である。ここには柊(ひいらぎ)の塚の伝説がある。次の萩丸は、青木初次郎氏の家号が地名になったともいわれている。
この辺りを歩くと、一昨年の大震災の折、ガソリンを求めて長時間並んだ苦い経験が蘇る。西原バス停を過ぎると、昔の風景とは一変する。
以前は、ここに大きな釣り堀があり、休日になると子供を連れて来たことが懐かしい。
次にオアシス探訪のテーマ「駅」と立場について触れてみたい。
昔、馬が交通手段だった。また漢語の睪(えき)は、継げるを意味し、これから驛が造られた様である。
江戸時代、宿場に対して、立場は人馬の休憩所を指していた。
明治の中頃、養蚕の発達とともに、青木近衛門氏が「立場」の家号でまゆや石炭を運ぶ。荷馬車の休憩地を、今の横浜銀行のところに設け、酒肴、飼料等を商った。同氏は有志2名とともに戸塚道にバスを開通、その後神奈川中央交通へと引き継がれた。
今や立場は地名になり、ターミナル駅に発展した。
(文・絵=村上和治)
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