向導寺(こうどうじ) 浄土宗 4回
京都の総本山知恩院の末寺として建立された向導寺の開創は、開山善蓮社知誉上人徳阿積功用山が1582(天正10)年4月14日に亡くなったことから、それ以前とみられる(当時の寺名は『相模風土記』によると浄運寺)。
寺前を通る大山道が門前で八王子道と分かれており、あたかも大山へ行く道を教えているように見えることから、向導寺の名は徳川三代将軍家光がつけたと伝えられている。
現在の本尊は、旧本尊が関東大震災で大きく破損し、代わりに横須賀・馬堀の浄林寺から譲り受けたもの。旧本尊は1988年、横浜市の第1回指定文化財となっている。
像高は推定81センチ。後頭部と光背、右譬先、脚部前面などの部材は失ったが、顔面部や前面部が残っていて、その像容をうかがい知ることができる。
11世紀の大仏師、定朝の作風がみられる数少ない平安仏で、破損仏ながら本格的な中央の影響を受けた資料として注目されている。現在、横浜市教育委員会で修復されている。
不動堂には四躯の不動明王像が安置されている。うち一躯が大山前不動尊と仰がれ、明治初期まで参拝者で賑わっていたという。この像は、仏師が伊勢原・大山寺の不動明王像(重要文化財)を造る前の見本仏として制作したものと伝えられている。不動堂の裏には区内唯一となった富士塚があり、塚の上に四基の富士講碑が建っている。
本堂は2008年6月7日、山門は同11月1日落慶。
■向導寺/岡津町2114(岡津橋バス停から徒歩3分)、住職・大橋俊史【電話】045・811・4305(連絡先・西林寺)
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