戸塚区遺族会戸塚支部長を務める 土屋 勇さん 戸塚町在住 73歳
戦争は他人事でない
○…戦没者の霊を慰め、平和を祈願して建てられた戸塚区内に5カ所ある忠魂碑。そのうち1つが、旧区庁舎の移転に伴い谷矢部池公園に移設された。いくつかの候補地から、地域の理解もあって決定した緑豊かな場所。管理に携わってきた戦没者遺族による「戸塚区遺族会」の一員として、「静かな環境に落ち着け、これでまた戦争の記憶を次世代に受け継ぐことができる」と胸をなでおろす。
○…南方へ向かう――。一言だけ記された紙の切れ端が、父・忠治さんが家族に残した最後の便りとなった。1944年2月19日にフィリピンで戦死。遺骨の代わりに小石の入った箱だけが自宅に戻った。「当時3歳。死の意味も分からず、たくさん人が集まる嬉しさで葬儀でも踊っていたと母に聞いた」。写真におさまる姿しか記憶にない父が最期を遂げたマニラ湾に浮かぶ小島に、これまで3度足を運んだ。そこには、日本人だけでなく戦勝国であるアメリカ人の戦没者をまつった慰霊碑もある。「勝っても負けても人が死ぬ。戦争は何も良いことがない」
○…農業を営んでいた父の戦死後、主を失った一家を支えたのは近所の人。「自分の仕事をなげうってまで農作業を手伝ってくれた。そのことで、一人の力は大したことがないということ、世のため、人のために尽くす意味を知った」。消防団員歴36年、体育指導員歴20年。さらにPTAなど、積極的に地域活動へ関わってきたのも、当時の恩返しの気持ちからだ。
○…終戦68年。戦争体験者が減り続け、遺族の高齢化も顕著。遺族会への新規入会者も少ないのが現実だ。だが、自分たちが今住む土地でもかつて戦争が繰り広げられていたと考えれば、決して他人事ではない。「先祖代々、ずっとつながっているんです」。自身も母の後を継いで入会した一人。「平和を守るために、次の世代へ受け継いでいかなければ」と若い世代の入会を期待している。
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