戦没者やその家族を慰める「忠魂碑」。日清・日露戦争以降、全国で建立され、戸塚区内の各地でも見ることができる。そのひとつ、谷矢部池公園の忠魂碑は、倒壊や撤去などの経緯を経て、2014年からこの地に佇んでいる。8月には、移設から4回目の「終戦の日」を迎えた。
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この忠魂碑は1919年、戸塚尋常高等小学校(現戸塚小学校)に隣接して建立された。その後関東大震災による倒壊と再建があったほか、太平洋戦争後にはGHQの指令により、政府が「学校等の忠魂碑の撤去」という方針を打ち出し、撤去されるなど、様々な経緯を辿っている。
後年再び建設された忠魂碑は、65年に戸塚区役所の敷地内に設置され、約50年に渡り地域に見守られ続けてきた。この戸塚区役所も2013年に移転。これに伴って地域住民らの尽力により、現在の谷矢部池公園に移されることになった。
この碑には現在、主に旧戸塚町の住民で、日清戦争以降に戦死した265人が祀られている。戸塚区遺族会の土屋勇会長によると、戦没者の遺族の多くは亡くなったが、時折碑の前に立って、じっと見上げる人の姿が見られるという。
「平和への道しるべに」
同会では月に一度は様子を見に行っているが、ごみが落ちているといったことはほとんどなく、土屋会長は「谷矢部池公園愛護会をはじめ公園を大切にされている方々が碑の周りも奇麗にしてくださっている。本当に感謝している」と話す。
また毎年11月に同公園で行われる「竹灯籠の夕べ」では、例年忠魂碑の近くにも竹灯籠が並べられている。昨年からは遺族会作の竹灯籠も参加し、戦没者の霊を慰めているという。
「忠魂碑は戦没者慰霊としてはもちろん『国のため』と死を選ばされた時代があったことの象徴でもある」と土屋会長。戦後72年が経ち体験を語る人も減ったことで恐怖や悲惨さに対する感覚も薄れていくことを懸念し「今後も平和の道を歩み続けるための道しるべとなることを願う」と話す。
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