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最新号:2012年2月 9日号
2010年9月 2日号
今なお現役剣士の佇まい
○…自宅の一室に掲げた「放心、止心、残心」の書。自身も魅了されたこの「剣道の心」を伝えるべく、金沢警察署少年剣道推進会(金少剣)で設立当初から指導者として数多くの剣士を育ててきた。一時は約50人のメンバーがいたが、現在は小学生が6人ほど。「昔は泣く暇があったら向かってこいって感じだった」と懐かしみつつ、「今の子は意地がない」と歯がゆい思いも語る。
○…親の強制で剣道を始めたのは中学時代。意外にも当初はやられっぱなしだったとか。「小学校からやっている子は上手くて。練習も5年間ずっとサボってばかりだった」。スポーツに自信があったからこそ、嫌で嫌で仕方なかったという。だが、転機は大学1年生だった昭和18年に訪れる。20歳以上の大学生が兵隊にとられる「学徒動員」が始まったのだ。神宮球場で戦争に行く先輩を見送りながら、「兵隊にとられちゃうなら、勉強してもしょうがない。だったら剣道で頑張ろう」と心に決めた。
○…金少剣を設立し子どもから大人までを教えるようになった当時は、「どう教えようかずい分悩んだ」と振り返る。そんな時心に浮かんだのは、「人を教えるには百を学んで、十に精通し、一のみを教えるに足る」という仕官学校での教え。剣道連盟が出している指導要領をはじめ、本屋に立ち寄っては剣道の本や指導書を片っ端から買いあさった。「剣道家は机上の勉強をないがしろにしがちだが、文武両道が大事」という信念の実践だった。
○…そうして育てた当時の教え子は、今や金少剣で指導するまでに。その成長を頼もしく思う一方で、自身の引き際も考えるようになったという。「蹲踞(そんきょ=稽古や試合で立ち合う時、腰を落とし向かい合う姿勢)ができなくなった時が潮時。みっともない姿はさらしたくない」。眼光するどく言い切る老剣士の佇まいは、まだ「その時」ではないと告げていた。