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連載 かねさわ地名抄 第10回「能見台」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会

公開:2013年4月25日

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長谷川雪旦「江戸名所図会」より、「能見堂・擲筆松(ふですてまつ)」
長谷川雪旦「江戸名所図会」より、「能見堂・擲筆松(ふですてまつ)」

 能見台は、昭和50年代中頃から60年代にわたる宅地開発により、釜利谷町、富岡町、片吹、堀口、谷津町など周辺地区の一部から新設された町です。町名は金沢八景を見晴らした史跡「能見堂跡」に因んで名づけられました。

 「能見堂」の名が出てくる一番古い資料は、室町時代、文明18(1486)年の「梅花無盡蔵(ばいかむじんぞう)」です。江戸時代の寛文年間(1661〜73年)に当地を支配していた久世大和守広之が芝増上寺の地蔵院を移設。寺院としての歴史が始まりました。

 元禄年間、中国の僧・心越禅師が、故国の瀟湘(しょうしょう)八景になぞらえて「金沢八景」を漢詩に詠んだことで一躍有名になります。歌川(安藤)広重をはじめとする多くの絵師や文人墨客により、「景勝地 金沢八景」が紹介され、江戸庶民をはじめ多くの旅人で賑わいました。現在は、「金沢八景根元地」の碑などが当時の面影を留めています。

 1944年5月、軍需工場「大日本兵器産業」の従業員専用駅としてこの地に「谷津坂駅」が新設されました。終戦後、工場は「日本平和産業(ニッペイ産業)」と改称し、駅も一般客利用駅となりました。1969年には、京急による周辺の宅地開発に合わせて約100m富岡側に移設。そして1982年12月1日、「能見台駅」と改称しました。ちなみに、駅の下にある国道16号沿いのバス停は、今でも「谷津坂」です。
 

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