神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS

連載 かねさわ地名抄 第16回「大道」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会

公開:2013年8月1日

  • LINE
  • hatena
1934(昭和9)年当時の大道の様子
1934(昭和9)年当時の大道の様子

 国道16号と六浦で交差する環状4号(六浦原宿線)を大船方向に進み、沿道の古刹・光伝寺を過ぎて侍従川に掛かる橋を渡ると道を挟んで左右、細長く続く街並みは、大道町1・2丁目である。この道に沿って大道の名が付くバス停留所が、4カ所も続く。

 大道という地名は日本中の各地に存在する。大きい道、主要道路という意味と取れる。遠い昔の律令制度ができた頃、官道が各地に敷かれたが、その地域に大道と呼ばれる地名が多く残っていると言われる。

 鎌倉期には幕府が鎌倉と六浦湊を結ぶため、朝夷奈の切通を整備した。鎌倉の都市機能の維持に必要な物資流通、あるいは軍事上、最重要道路のひとつであった(六浦道、塩の道)。

 大道の谷戸(現在の宝樹院の崖の下奥付近一帯)に、大道山常福寺(明治期に廃寺)という、金沢北条氏の菩提寺である称名寺の末寺があった。鎌倉幕府が滅んだ後、称名寺は荒廃した。室町期の鎌倉公方であった足利持氏は、これを大変憂い、修理費用を捻出するため、常福寺門前の道に関所を設置し、通行する人々の荷駄に関料を科して、これに充てたと言う。実際にこの内容を示す古文書も金沢文庫に残っている。

 このあたりは昭和初期、久良岐郡六浦荘字三分大道と呼ばれていたが、1980(昭和55)年7月に六浦町、朝比奈町から分立して大道町となった。六浦大道は中世から見られる古い地名であり、六浦荘村の字名を取ったものである。

本まぐろ直売所

4/26~5/6は休まず営業、毎月第2・4土日は特売日!

https://www.yokosuka-honmaguro.com/

<PR>

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 4月25日0:00更新

  • 4月18日0:00更新

  • 4月11日0:00更新

金沢区・磯子区版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

コラム一覧へ

金沢区・磯子区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月25日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook