連載 かねさわ地名抄 第17回「青砥」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
国道16号の富岡隧道(ずいどう)(日本最初の複式隧道)の北側で、路線バスの「青砥」停留所や環状3号と国道16号の交差点から東方一帯を「青砥」と言います(現富岡東1丁目)。
鎌倉幕府の御家人で引付衆であった青砥左衛門尉藤綱は、清廉潔白な人柄で有名であり、青砥山に館を構えたと伝えられています。ですが、その事実も青砥左衛門尉藤綱の実在も、現在明らかになっていません。
青砥山から土塁の跡らしきものが出土しています。これは杉田にある霊桐山東禅寺の開基である北条備前守宗長(鎌倉時代の名越流北条氏)や、後北条の間宮信次(戦国時代の杉田間宮氏)がこの地に砦を造ったという伝えもあることから、いずれかの跡であったのかもしれません。
「新編武蔵風土記」には「大戸山」(オオトヤマ)と記され、明治初期の文献には「青砥山」(オオトヤマ)とあります。古老は青砥を「オート」と言っています。因みに杉田川を挟んだ隣接地の杉田の字も「大戸」です。これらのことから「大戸」(オオト)が「青砥」(オオト)、そして「青砥」(アオト)と変化したものと思われます。
環状3号線と国道16号の交差点から東へ入り、坂を上がりきったところを右折し、数十メートル進むと左手に産土社(うぶすなしゃ)(諏訪社、地元ではウブツナ様と呼んでいる)の祠があり、その前に青砥藤綱の墓と称する大きな顕彰碑が建っています。これはかって青砥藤綱の映画が思いのほか好評を博したので、興行師が御礼に建てた碑だそうです。
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