連載 かねさわ地名抄 第24回「三艘」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
京浜急行逗子線の六浦駅から東へ300mほど行った所の線路脇に、三艘町内会館があります。その名が示すようにこの辺りは「三
艘」と呼ばれ、中世、鎌倉の外港として重要な役割を果たした六浦湊の主要な船着き場でした。「北条実時の時代に唐船三艘がこの場所に着岸した」、あるいは「実時の子顕時、その子貞顕の頃までに唐船が一艘ずつ三度に亘り来航した」ともいわれ、「三艘」の地名の由来と伝えられています。新編鎌倉志では「三艘浦は、六浦の南向ひの村なり。昔唐船三艘此所に着く。故に名くとなり。其時に載せ來りしとて一切經・靑磁の花瓶・香爐等、稱名寺にあり」とあります。
実時の時代の中国は南宋末期でしたが、文化面では最盛期を迎え、日宋貿易によって多くの工芸品や経典が唐船によってもたらされました。僧侶の往来により禅宗や朱子学が伝えられ、他に陶磁器や絹織物、香料、薬品そして宋銭などが輸入されたと伝わっています。
1997年(平成9年)に重要文化財に指定された「宋版一切経」は、北条実時が中国から請来した仏典で、唐船によって三艘に運ばれたものともいわれています。唐船には、積載された貴重な経典や書物を船内の鼠から守るために猫が乗せられていて、その唐猫が金沢の地に住みつき繁殖し、金沢猫として珍重されたと伝えられています。
現在は東朝比奈町に移った千光寺には今も猫塚が残っています。このように三艘は多くの文化や貴重な書物などを鎌倉に運ぶ重要な拠点でした。
【訂正】
第23回の「六浦」の回で誤りがありました。正しくは「六連海辺」(7行目)「神明鏡」(9行目)「六面燠」(10行目)「六連庄」(2段11、20行目、3段5行目)「宝樹院客仏」(2段13行目)「浄願寺」(3段10行目)です。全文はタウンニュースWeb版で確認できます。
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