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連載 かねさわ地名抄 第28回「宮の前」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会

公開:2014年5月15日

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宮の前海岸
宮の前海岸

 「宮の前」といえば、お宮さんの前。すなわち「富岡八幡宮の神前」を指します。今は富岡八幡公園になっていますが、昔は八幡様の表参道の鳥居前に「宮の前海岸(西浜)」があり、土地の人は、この浜を「みやのめー」と呼んでいました。地名はこの「宮の前」を発祥としています。

 ローマ字のヘボン博士は、富岡に避暑に来て宮の前海岸前の慶珊寺に逗留し、眼前の海の水質の良さに感動したといいます。また「江戸湾内で一番良い海は富岡の海だ」とこの地での海水浴を奨励。多くの外国人が宮の前海岸を訪れました。日本人の間にも富岡の「汐湯治(海水浴)」が流行。1881(明治14)年頃、同海岸には「海水浴場神奈川県庁」という標識が立てられ、これが我が国初の海水浴場発祥の地となりました。1884(明治17)年には料亭「海宝楼」が設立され、引き続いて土地の人達の共同出資による割烹旅館「金波楼」が現在の鳥居脇に創業されました。

 1882(明治15)年頃、富岡に来た伊藤博文は、富岡の海を大変に気に入り「下の浜」の野本邸を借りて別荘としました。博文を慕う政府の高官達も続々と富岡に別荘を持ちました。博文別荘隣には井上馨、「宮の前」には松方正義、「東浜」には大鳥圭介と田中不二麿、三条実美の別荘は「クツモ」にあり、富岡で閣僚会議が開ける程政治家が集まりました。その後博文は瀬戸の東屋・夏島に移り「明治憲法」を完成させます。

 また現在の「こすもす幼稚園」の場所は戦後の「日本国憲法」の草案の完成を見た所。両方の憲法起草に「宮の前」の地が関りを持つことになりました。

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