連載 かねさわ地名抄 第33回「寺前」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
現在の寺前1丁目・2丁目・金沢町辺りは、江戸時代は寺前村でした。さらに昔時中世は、六浦庄金沢郷の一部でした。その名の通り称名寺の門前に位置したことに由来し、町屋村・洲崎村とともに小さいながら門前町として発展しました。『称名寺釘日記』(金沢文庫古文書)に「町屋」(文保元年)の地名がありますので、寺前の地名も同様に鎌倉後期には成立していたと思われます。
寺前村は「水田少ナク陸田多シ」、塩も年貢の一部として納め、明治初期までは百戸に満たない土地でした。村内には金沢七井の内「御井戸・亀井」があり、称名寺の苑池と亀井より出る水が合流して走川となり、金沢入海に注いでいました。1668年、寺前1丁目付近に走川新田が造成され、これが泥亀新田の埋め立ての始まりです。
近世近代の住民は、称名寺の西側を「西門前」、東側を「中門前」、海岸寄りを「東門前」と呼び、赤門から八幡神社に至る南側「寺ノ前」と呼んでいました。この道の近辺には薬王寺のほか、かつては法泉寺・報恩寺・東福寺があり、現在の県立金沢文庫に続く道と合わさる中ほどに、地蔵堂・高札場がありました。
1889(明治22)年谷津村・町屋村など8ヶ村が合併して金沢村となり、1926(大正15)年に金沢町大字寺前となりました。1936(昭和11)年の磯子区編入後寺前町に、1948(昭和23)年には分離して金沢区となりました。1979(昭和54)年住居表示の施行に伴い、寺前町と町屋町の一部より寺前1丁目・2丁目が設けられ、現在に至っています。
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