連載 かねさわ地名抄 第34回「大川」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会
「大川」は近くを流れる宮川に由来していると思われます。1939(昭和14)年に金沢泥亀町の一部から新設した町で、古くは久良岐郡泥亀新田と言いました。宮川に架かる大川橋や京急線をまたぐ陸橋に大川人道橋と名が付いています。
横浜市立大学の正門辺りは小さな谷戸になっていて、そこから小さな素掘りのトンネルを抜けると手子神社の裏まで耕地が広がっていました。手子神社の裏側の山裾に2、3軒の民家があるだけで、寂しい耕地でした。めったに人影を見ない所で稲を刈り取った後の田には美しい白鷺の群れが見られたそうです。
1930(昭和5)年に台が崎(現・金沢高校あたりで内海に突き出していた丘陵地)を切り開いて湘南電気鉄道(現・京浜急行)が開通しました。その時の『湘南金沢名所案内』に泥亀新田の釣魚場や日露戦争凱旋記念に植えられた大川堤の桜も紹介されています。角田武夫氏のスケッチや藤田光太郎氏の絵に昭和初期ののどかな風景を見ることができます。
1941(昭和16)年には大川、小泉、釜利谷にまたがって約100ヘクタールを強制買収して横須賀海軍航空技術廠支廠(航空機搭載兵器の研究で最先端技術を持つ国の直営工場)が建設され、従業員が約1万人と人口が急増しました。
戦後は学校、工場、小泉住宅と平和施設として利用返還され、「大川」の大部分は工場で占められていました。現在は丘陵地に約1800戸のマンションが建設され、新たな住民が増加しています。
訂正…第33回「寺前」の写真のキャプションで「御井戸・亀井」とありますが正しくは「亀井の井戸」です。
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