米海軍横須賀基地の米軍家族のボランティアグループを支援する 兼俵 伸枝さん 富岡西在住 78歳
50年越しの感謝伝える
○…「要英会話、容姿端麗、求ム美容師」――資格を取得して間もない頃、横須賀ベースで求人があった。英語は分からず、容姿にも自信はなかったが、臆することなく応募。見事、採用された。「当時から皆さんすごく大事にしてくれた」と振り返る。戦後の食糧難に、基地の人々からもらうパンやジャム、チョコレートは贅沢品だった。そして2011年、東日本大震災で被災地を支援する米軍の姿を見て、当時の記憶が蘇った。「昔お世話になった恩返しがしたい」。それから得意の手芸を生かした巾着の製作や、着付けボランティアを実施。50年越しの感謝を伝えるため、精力的に活動を続ける。
○…「本当になりたかったのは弁護士。美容師には全然興味なかった」と笑う。いやいや受けた美容学校の試験は名前すら書かなかったという。だが試験時間が迫る中、白紙の答案用紙に母親の顔が浮かんだ。「母は『これからの女性は手に職がないと』と言っていた。戦争で父を亡くし、お嬢さま育ちの母は苦労したんでしょう」。気持ちを入れ替え一気に回答し、合格。美容師の一歩を踏み出した。
○…震災後、着物や古布をリサイクルして作った巾着や雛人形、手芸品は合わせて3000個を超える。色鮮やかなでエキゾチックに見える和柄に、外国人はとても喜んでくれるのだという。「私ひとりではできないこと。仲間がいるから続けられる」。フェイスブックの「友達」欄には外国の友人が並ぶ。「聞くことはできるけど、もう少し英語で言葉が出てくるよう、勉強しないと」と向学心をみせる。
○3月15日、区内富岡西で52年続けた美容院を閉店した。店舗の老朽化で、閉めざるをえなかったのだ。しかし「待っているお客様がいる以上、やめられない」と現在も、出張してハサミを握る。客から「頼られる存在」になった今、興味がなかった美容師という仕事は、元気がある限り続けたい「天職」に変わった。
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