今年の称名寺薪能で上演される能「楊貴妃」。県立金沢文庫ではそれに合わせ、楊貴妃の所有物であったという伝説の残る「玉簾(たますだれ)」を一般公開する。5月15日まで見ることができる。
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蓬莱宮に楊貴妃の霊魂を訪ねてやって来た玄宗皇帝の使者。御簾(みす)の内に見え隠れする楊貴妃に、帝の深い嘆きを伝える――。能の一場面だ。
県立金沢文庫に眠る国指定重要文化財の玉簾。楊貴妃のものだという伝説が古くから伝わっている。「錦の縁の中に、ガラス棒が簾状にかかっていたと思われます」と話すのは同館学芸員の高橋悠介さん。現在、ガラス棒は分離した状態で保存されている。
縦78・7cm、横90・6cmの玉簾は鎌倉時代のもの。「もともと境内の三重塔に飾られていたといわれています」。1486年、室町時代の聖護院門跡・道興准后(どうこうじゅごう)の紀行文「廻国雑記(かいこくざっき)」には称名寺を巡礼した日のことが綴られている。その一文には「これにこそ楊貴妃の玉のすだれが二かけ……」とあり、当時は二帳存在し楊貴妃ゆかりの品として伝わっていたことをうかがい知ることができる。また、この玉簾が霊宝として三重塔にかけられていたとの記載も。毎年3月15日以外は開帳されず、披見が許されなかったと記されている。
徳川光圀が記した「鎌倉日記」(1674)では、この玉簾が尾張国・熱田社から納められたものだと伝えている。当時、日本で楊貴妃といえば熱田社といわれるほど。これも噂を後押ししたと考えられる。
「中国から輸入された可能性が高いガラス。舶来のものという当時の物珍しさも手伝い、美人な楊貴妃が飾っていたに違いないと噂がたったのでは」と歴史を紐解く高橋さん。「本来は三重塔内のお堂を飾る御簾だったと考えられます」。しかしその評判は室町後期から江戸時代にかけて世に広まり、当時の人々を惹きつけたのだった。
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