金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第8回 太田道灌と山吹の里伝説 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
太田道灌(どうかん)は室町時代中期、軍事・和歌に優れた武将として有名な人物であった。扇谷上杉定正に家宰(家老)として仕え、江戸城を築いた。山内・扇谷両上杉氏の対立などにからんで、伊勢原にて定正に暗殺された。
道灌伝説として「山吹の里」がある。狩りの途中でにわか雨に会い、農家でみの笠を借りようとした時、少女から一枝の山吹をさし出された。けげんな思いで帰宅したのち、兼明親王の和歌「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき」を意味していることを知った。八重咲の山吹は「実のらない=みのがない」ことから、貧しくて「お貸しするみのがありません」を示唆していた。以後道灌は一層学問に励んだという。伝承地は東京ほか各地にあるが、六浦の御伊勢山一帯もその一つと伝えられている。
文明十年(一四七八)「小机城の合戦」(港北区)があり、長尾景春方の矢野兵庫助らと道潅の軍勢が対峙した。同年六浦の上行寺裏山辺りにあったとされる浄願寺周辺でも、道潅の手勢と景春方武士の間で戦いがあった。また洲崎の龍華寺建立に道灌や扇谷上杉氏の被官(家来)が関係したことなどから、道潅ゆかりの地となり、「山吹の里」伝説が生まれたと思われる。
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