金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第12回 歌川広重、金沢八景を画く 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
金沢区には金沢八景という有名な景勝地があった。江戸時代後期には旅行ブームとなり大山や江ノ島・鎌倉のルーとに金沢八景も組みこまれて賑わった。金沢八景の根元の地である能見堂からの金沢一帯の眺望の美しさは鎌倉時代から知られていた。西の方にも有名な近江八景があるが、八景の発祥は中国の潚湘(しょうしょう)八景にある。美しい山や川や湖の四季と時空を文人墨客が詩歌や画の題材として作品を残してきた。
能見堂は保土ヶ谷宿の金沢横丁を折れて三里半の山道を辿ってくると急に開けて金沢一帯の入江・海・半島・島や対岸の房総の山並みが一望できる。この風景を中国清の時代の亡命僧である心越禅師が潚湘八景になぞらえて詠んだ詩が金沢八景のもととなった。称名晩鐘・内川暮雪・小泉夜雨・瀬戸秋月・洲崎晴嵐・平潟落雁・野島夕照・乙艫帰帆で金沢の地名と事象の二文字の組合せで呼ばれる。しかしここからの景観は泥亀新田の開発により失われ、観光の中心は平潟湾に突出ていた金龍院九覧亭に移っていった。広重は八景を一望する形で画いたり又八つの箇所を近接拡大した形で画いている。これらは区内の至る所で目にする事が出来る。広重は亡くなる前年に雪月花の三部作の月として野島を中心においた「武陽金沢八勝夜景」の名作を残してくれた。
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