創立から1世紀の歴史を刻む桜岡小学校―。地域には親子代々で通う家庭も珍しくなく、地元に根付いた学校であることがうかがえる。先代から数えて、4世代で同小に通う齊藤家と笠原家を取材した。
今もつながる桜岡の輪
齊藤誠一さん(79歳)・有一さん(52歳)・一哉さん(15歳)
「流行していた遊びといえば戦争ごっこやチャンバラだった」という誠一さん。遠足で水筒と「軍隊で使うようなリュック」を背に、三渓園まで歩いたことが思い出だ。戦争の影響が色濃く、物もなかった時代。「現在の子ども達は明るい。豊かな時代になった」と振り返る。34期の仲間とは卒業後に「櫻友34会」を結成。「大岡川と桜岡小」と題し、当時の思い出を記した文集などを制作したほか、年に一度会合を開いて親交を深めているという。
遊びといえば「ゴロベー」が一番人気だったという有一さん。これはゴロベースの略で、バットの代わりに素手でゴムボールを打つ野球のようなもの。また、日本酒のふたを使ったおはじきでは「勝つと相手のふたがもらえるんですよ」と懐かしむ。印象に残っている給食は「脱脂粉乳。バケツいっぱいに運ばれてきて、ひしゃくでよそっていた」。現在は桜岡小OBが中心のシニアバレーボールチーム「めんず桜岡」に参加。今でも桜岡小との関係が続いている。
一哉さんは来春に高校受験を控える中学3年生。好きだった給食はカレーライスという現代っ子だ。思い出は「運動会で毎年自分の組が優勝したこと」。ミニバスのチームに所属し、6年時には神奈川県大会で優勝し、全国大会に出場した経験も持つ。中学でもバスケットボール部に所属し、「高校でも続けるつもり」と話し、小学生の頃からバスケットボールへ情熱を注ぎ続けている。
伝統校出身の喜び
笠原眞一さん(77歳)・恒二さん(44歳)・辰也君(小6)・優也君(小3)
現在の場所に新校舎が完成した昭和17年、眞一さんは3年生だった。「弘明寺にあった昔の校舎から、高学年は机、低学年は椅子を行列になって運んだ」と引越しの様子を語る。その後、戦況が次第に厳しくなると、全校から20人が選抜される将来の特攻隊候補生の1人に。身体を鍛えるために真冬も朝礼時は裸。朝礼後は青木神社まで全力で走らされ、真剣勝負の雪合戦は候補生対全校児童。予科練あがりの先生の指導は厳しく、平手打ちは日常茶飯事。現在、交易食品(株)が建つあたりには陸軍の高射砲陣地もあり、「入学した頃に戦争が始まって、終戦後まもなく卒業。小学校は戦争の思い出しかない」。
恒二さんの好きだった給食のメニューは「カレースープのソフト麺と揚げパン」。屋上で校旗を掲揚するのは児童の当番制だったほか、放課後でも校庭で自由に遊ぶことができ、仲間と「ゴロベー」に夢中だった。保護者と先生の関係は現代に比べると緩やかで、「帰宅したら先生が家に来ていて、夕方に父と飲みにいくこともしばしば。一緒に野球観戦に行ったこともあった」。現在はPTAとして学校に通うが、「親同士に同級生も多い。身近すぎて100周年の実感もなかったけれど、伝統がある学校に通えて嬉しい」。
辰也君が学校で好きな場所は図書室。「江戸川乱歩の怪人20面相を読んだ」。優也君が学校で一番好きな時間は、「給食。デザートのメロンがおいしい」。1年間で2、3回あるという数種類のメニューから自由に選べる「セレクト給食」も楽しみだ。夢中になった遊びとして2人が口をそろえるのが、「じょうせん」。定規でボールペンを弾くものだが、「でも、もう昔の話。今はあまりやってないけれどね」。現代の流行の移り変わりは早いらしい。
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