港南台の変遷を語る 地元住民が知る昔と今
古くから港南台を知る寺田伊佐武さん、開発以降に移住してきた寺田宏子さんに話を聞いた。
かつては丘陵地帯だったという港南台(写真上参照)。伊佐武さんは戦前の子どものころから港南台に広がる里山で遊んでいた。「夏は蛍が飛び交い、小川ではフナやウナギが取れた。田んぼまで水を引くために川水をせき止めている場所でよく泳いでいた」。里山では山苺やぐみの実、さくらんぼなどの実が自然に生り、それらを食べては「口の周りを真っ赤や真っ青にしていた」と自然豊かだった頃を振り返る。住民のほとんどは農家で「みんな貧しかったが、心は豊かだった」と過去に思いを馳せた。
開発以降の港南台
一方、「歴史に学ぶ港南台の会」代表でもある宏子さんは宅地開発工事で「何もないところに駅だけがあった」と振り返る。開発が進み200世帯しかなかった街は5万人規模で住める街へと変貌したという(写真下参照)。宏子さんは現在の港南台を「都市計画がきちんとしてできた街。道路も公園も整備され、周囲には高層マンション、中心部には低層住宅があり空が広く感じる。住む環境はとてもいい」と評価していた。
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