創立当時の南高はどうだったか。1期生の松村祥男さん(75)に話を聞いた。
Y校の普通科を受験したところ、普通科が分離独立したため名前が変わり、港高校に入学することに。入学1カ月後には南高校となったものの、校舎は吉田中学校を間借りし、1年後には港高校へ移転。環境の変化はすさまじかった。
部活動もまさに一からのスタート。生徒が声を上げ、先生と協力して作り上げ、一生懸命に活動した。松村さんは化学部と柔道部に所属し、青春の日々を謳歌した。学校生活の思い出は、同学年の風紀委員長で後に県議会議員となった山野井富三郎さんと「学校を抜け出した人はいないか」をチェックする名目で学校を出て、中華街で食べるラーメン。当時の価格は35円。「最高だった」と思い出す。
「自分たちで歴史を作る。それが1期生のプライドだった」と松村さん。その思いと愛校心で同窓会を初代会長の阪柳定男さんと立ち上げ、2代目として50年近く会長も務めた。松村さんは「とにかく明るく元気で、生徒も先生も絆の強い学校だった」と振り返り、後輩には「南高の良さと伝統を引き継ぎながら、卒業生が誇れるような良い学校に変えていく努力を続けてください」と温かい目で語った。
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