寄稿 戦争体験記〜東京大空襲〜 語り継ぐ戦争の記憶【9】 港南区遺族会 新井 淑雄
清澄庭園に
昭和50年3月、横浜から深川に家族で向かいました。東京大空襲の時に避難した清澄庭園に行くためです。
命を助けられた場所ではありますが、多くの生死を見た場所でもあります。つらく嫌な思いがずっとあり、終戦以来、1度も行きませんでした。それでも行こうと思ったのは母が元気なうちに当時のことを確認しておきたいとの思いでした。
庭園は昔と変わりませんが、結局どこに座ったかも分かりませんでした。暗闇と混乱の中、さまよった場所ですから仕方ありません。一瞬の判断が生死を分け、偶然に助けられたことを思い、改めて「うまく生き延びたなあ」と思いました。
生かされた人生
港南区に住み始めてからは体育指導員や少年野球チームの監督、金井町内会の副会長などを歴任し、現在でも神奈川工業高校同窓会の会長を務めています。地域活動を続けてきたのは、今まで多くの人に助けられたことに対する感謝の気持ちのほかに、疎開中に貧しいながらも力を合わせて共同生活を送ったことが影響しているのかもしれません。数え年で80歳となり、老いを意識しますが、支えられ、生かされた人生はありがたかったと近頃思います。
平和のありがたさ
戦時中に自由な時間はありませんでしたが、今は自分がやりたいことをやれています。自由は素晴らしい。ただし、自由は「好き勝手」という意味ではありません。我慢もしなければならないのです。戦争は始まってしまえば殺すか、殺されるか。ですから、戦争になる前に我慢が必要なのです。
今年は戦後70年の節目。改めて「生きる幸せ」と「平和のありがたさ」を思い、生活をしています。(終)
過去連載分は【URL】http://www.townnews.co.jp/postwar70.htmlで掲載中です。
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