中区ダンスフェスティバルに特別出演する舞踏家 大野 慶人さん 保土ケ谷区在住 72歳
命の姿そのものを表現
○…白塗りの姿に、ゆっくりとした”静”の動き。通常イメージする”動”のダンスとは一線を画する舞踏の世界。7月9日に行われる中区ダンスフェスティバルに特別出演する。「数あるダンスの中の一つのジャンルだと思ってもらえれば。何も特別なものじゃないんですよ」と、”特別”という言葉に謙遜する。
○…舞踏という新しい表現を切り開いた故・大野一雄を父に持つ。「幼い頃はずっとサッカー選手になりたかったんです」。母親に頼まれたことがきっかけで、父親の下でモダンダンスの基礎を積んだ。1959年、舞踏の創始者・土方巽(ひじかたたつみ)の作品に出演して以降、多くの舞台を経験。しかし、”それ”は自身初のソロ公演でおこった。「全く体が動かなくなってしまった」。以後舞台での活動を中断。「生きる意味や実感が欲しかった。商売を一所懸命やろうと思ったんです」と、妻と一緒に関内のシルクセンターでドラッグストアを経営。それを生業にしつつも、脚本や演出、振付など表現の世界に携わり続けた。「大野一雄の舞台に注文をつけていくうちに、自分の感性も研ぎ澄まされていったようなんです」。1985年、父親との競演で舞台へカムバックした。
○…保土ケ谷区上星川の住宅街に佇む大野一雄舞踏研究所には日本各地、海外から生徒が訪れる。「生活そのものが先生なんですよ」。会話をしながらパッと、厳しい表情で表現の世界に入ったかと思えば、気さくで柔らかな笑顔に戻っている。接していると「舞踏とは命の姿そのもの」という表現が、大げさでもなくしっくりくる。
○…現在もヨーロッパやアジアなど世界各地を公演で飛び回る。東日本大震災を受け、世界各地の悲しみや怒りをより身近に感じるようになったという。「厳しく精進しなくては」と静かに頷く。「歴史に学び、今ある悲しみを風化させてはいけない」。芸術に出来ることを模索し続ける。
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