東日本大震災から間もなく2年。被災地の様子を伝える報道も減り、惨事の記憶は次第に薄れつつあるのが現状だ。本紙では、岩手県山田町の自宅兼店舗を津波で失い、現在は西区で避難生活を送る浦辺利広さん(56)に当時の様子や災害への備え、心構えを聞いた。
「自助・共助・公助というが、現実は自助、自助、自助しかなかった」。津波で自宅を失い、1カ月間の避難所生活の後、生活再建を目指して現在は西区で暮らす浦辺さん。当時の様子を振り返り「消防も役所もみんな被災する。助けに来られないし、避難所の支援だってずっと後になってからだった。頼ろうとしないほうがいい」。避難所での生活では、被災者同士のトラブルや、被災を免れた店舗で窃盗が起きるなど「報道で伝えられるような美談ばかりではない。生きるためには覚悟が必要だった」としみじみ語る。
そんな避難生活のなかで浦辺さんが最も大切だと感じたのは情報収集。「被災直後は食料よりも何よりも不安の解消が大切だった。情報と適切な判断がないとみんな路頭に迷ってしまう。だからこそ避難所のリーダーを名誉職にせず、情報が取れて判断力のある人を選ぶべき」と力説する。
自身の経験が活きればと先日も西区の家庭防災員向けに講演した浦辺さん。「私たちの地域でも防災訓練をしていたが、気持ちのどこかで『津波なんてこない』と思っていた。日頃の訓練(のあり方)や備蓄倉庫の中身など、何が本当に必要なのか、今一度それぞれの地域で見直すべきでは」と呼びかけた。
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