入館者数増目指す 2014年は午年。中区根岸台に1866年に建設され、東洋一の規模を誇っていた横浜(根岸)競馬場の跡地は、現在根岸森林公園と根岸競馬記念公苑に整備され、馬と身近にふれあえる市民の憩いの場となっている。
横浜競馬場はペリーの黒船来航後、横浜に住む居留外国人の娯楽のために、日本初の本格的な洋式競馬場として誕生した。
1880年には日本人もレースへ参加できるようになり、宮家や政府要人らが競馬を楽しむとともに外交を行う社交場として発展を遂げていった。八大競争とされる「天皇賞」や「皐月賞」の前身となるレースもこの競馬場で始まっている。
全国各地の競馬場のモデルになった同競馬場だが、太平洋戦争の激化にともない、馬見所(スタンド)から横須賀の軍港が見渡せる可能性ありとの軍事上の問題から1943年に閉鎖。日本軍により接収され77年間の歴史に幕を下ろした。
終戦後はアメリカ軍が所有し、日本政府への返還が叶ったのは69年(跡地の一部)。その後、跡地に日本中央競馬会(JRA)が馬の博物館を含む根岸競馬記念公苑を建設。横浜市も根岸森林公園をつくり、市民が気軽に散歩や運動を楽しめる施設となった。
また当時の厩舎、コースなどは道路や住宅になり、横浜を中心に活動した建築家のJ・H・モーガン設計の一等馬見所のみが遺構として残っている。81年に日本に返還されたこの馬見所は現在、フェンスに囲まれて建物内に入ることはできない。管理を行う市環境創造局によると、「修繕には数十億円が必要になるため、具体的な使用方針は決まっていない。根岸米軍住宅の返還が完了した際に検討に入る」という(返還時期は未定)。馬の博物館の学芸員・長岡武さんは「このスタンドは当時の最高水準の建築技術がつまった大変貴重なもの。ぜひ後世に残してもらいたい」と語る。
馬の博物館には馬に関する約1万5千点の資料を収蔵するほか、ポニーやサラブレッド、日本在来馬などが飼育され、見学や乗馬ができるポニーセンターも併設。12月上旬には2009年春の天皇賞を制した牡馬、マイネルキッツも同センターに仲間入りしている。
同苑の12年の来場者数は21万9千人。しかし、そのうち博物館に入館したのは2万4千人にとどまった。長岡さんは「馬は昔から農作業や交通手段として人と深く関わってきた動物です。魅力ある展覧会を企画し、今年も多くの方に来て頂きたい」と話していた。
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