伊勢佐木町1・2丁目が所蔵する高村光雲彫刻の「火伏(ひぶせ)神輿」が3月29日から約1カ月半の間、滋賀県の美術館に展示されることになった。多くの国宝や重要文化財と並ぶ扱いに、地元では盛り上がりをみせている。
大正天皇即位記念事業の一つとして伊勢佐木町の町内会で企画され、横浜一の神輿を奉納すべく2年もの歳月をかけて制作された「火伏神輿」。滋賀県甲賀市にある美術館「MIHO MUSEUM」の依頼を受けて、春季特別展として開催される「かざり〜信仰と祭りのエネルギー」の中で、3月29日から5月15日まで展示される。神輿は1991年から多くの人に見てもらうため神奈川県立歴史博物館=中区=のエントランスに収蔵展示されており、お三の宮日枝神社例大祭(9月)で白装束の担ぎ手が厳かにイセザキ・モールを練り歩く「火伏神輿行列」の期間中にモール内で展示されるほかは、外への貸出しは今回が初めてだという。
「街の宝、文化財に」
制作においては町内で神輿制作の筆頭者となった渡辺順吉さんが、先代と親交のあった彫刻家、高村光雲氏に依頼。設計や御宮造り、蒔絵、金具など当時の第一人者を集め、1921(大正10)年から制作をスタート。しかし完成を目前に控えた23年9月1日、関東大震災が起こる。組立前で分散加工をしていたことが幸いしてか、無事難を逃れた。その後横浜大空襲も乗り越えたことから災難よけの神輿として崇められ、「火伏神輿」と呼ばれるようになったという。金色の鳳凰を付けた天子の乗り物である鳳輦(ほうれん)形で大分県の宇佐八幡宮に宝蔵されている神輿をかたどり、古代神輿の粋を極めている。
搬出作業は順吉さんの孫にあたる渡辺洋三さんら関係者が見守るなか行われた=写真。文化財などの指定は受けていないが、早稲田大学文学学術院講師で文化財修復を手掛ける櫻庭裕介さんは「巨大な工芸品。組紐も複雑で、現代ではもう作れる人がいない」という。協同組合伊勢佐木町一、二丁目商和会の廣井晴雄理事長は「街の宝として大切にしていきたい」。伊勢佐木町1・2丁目地区商店街振興組合の加藤昇一理事長は「専門家から国宝級だとお墨付きをいただけて嬉しい。今後文化財取得に向けて働きかけていきたいと思う。地元の皆様にも火伏神輿の素晴らしさをぜひ知ってもらいたい」と話していた。
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