〈連載〉さすらいヨコハマ⑩ 時代を先取りする横浜 大衆文化評論家 指田 文夫
4月に行われた統一地方選の結果は「現状維持」だったが、これを機に戦後70年の横浜市長選挙を振り返ってみたい。
最初は1947年4月、社会党の石河京一が保守の山崎次隆を4千票差で破って市長になったが、占領下であまり身動きできなかったらしい。51年は保守が「ハマのエリート」平沼亮三を出して石河に勝ち、次の55年も平沼だった。だが、71歳と高齢だったので、後継含みで、神戸市前助役の田中省吾を筆頭助役に迎えた。そして59年、田中の番になったが、戦時中の官選市長の公職追放が解けた半井清が名乗りを上げ、調整で「1期は半井、次は田中」になる。だが、63年の選挙に半井が出馬したため、自民党は田中派、半井派に割れ、社会党の飛鳥田一雄が自民分裂を縫うように当選し、75年まで4選を果たす。
次の3期は、自治省次官の細郷道一、建設省次官の高秀秀信といずれも中央官僚が続く。そして、2002年に中田宏、09年から林文子と民間人になる。
1960年以後でも、革新、実務派官僚、若手改革派、女性――と時代を先取りしている。横浜は常に日本の将来の標(しるべ)である。
(文中敬称略)
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