〈連載〉さすらいヨコハマ⑳ 川崎の市電 大衆文化評論家 指田 文夫
前回、横浜の市電に触れたら、「川崎にもあったよ」と言われた。
その通り、川崎駅から臨海部を通る市電はあった。京浜急行(当時は東京急行)川崎駅から出発し、すぐ東に曲がって第一国道を横切り、工業地帯に向かっていた。開通は、1944年10月で、まさに戦時中の生産増産への「産業戦士」の輸送増強のためだった。45年4月の川崎空襲も受けたが、戦後すぐに復興し、工業都市川崎を支えた。
50年代の区画整理と京急の高架化により、出発駅はさいか屋近くに移り、私が映画を見に行ったころは、そこから出ていた。最盛期の52年には塩浜まで行っていたが、時代の変化で67年には池上までになり、69年3月末にはすべて廃止されてしまった。
川崎の市電が記録されている映画が、大島渚の監督デビュー作、59年の『愛と希望の町』で、駅前で鳩を売る少年と、少女の会話の奥に市電が止まっている。64年の日活映画『仲間たち』にも出てくるが、一般には入手が難しい。
(文中敬称略)
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