ロンドン五輪が7月28日(日本時間)に開幕する。男女ともにメダルの期待がかかるのが体操競技。その体操で1964年の東京五輪に出場し、団体で銅メダルを獲得したのが永田東に住む加藤宏子さん。日本の体操女子では五輪で唯一のメダル獲得となった48年前の思い出を振り返ってもらうのと同時に、目前に迫ったロンドン五輪への期待を聞いた。
加藤さんは石川県出身。小学4年生までは跳び箱すら跳べなかった。先生の指導で跳べるようになると、「努力すればできる」と感じるようになったという。中学ではダンス部に入ったが、体操の才能を見出され、市大会に出場したところ、いきなり優勝を果たした。高校では2年連続でインターハイを制すなど、一気に素質が開花した。
前年に大けが
高校2年で五輪候補選手となったが、1956年のメルボルン大会、60年のローマ大会とも国内選考会で良い結果が出ず、出場はならなかった。26歳になり、「これが最後の挑戦になる」と決めていた東京五輪。しかし、前年にアキレス腱を切る大けがに見舞われた。懸命に再起を目指し、国内の選考会で5位に入って初の五輪行きを決めた。
女子団体はローマ大会で僅差の4位だったこともあり、周囲の期待は嫌というほど感じていた。「合宿では朝、昼、夕の3回練習。今考えればやり過ぎだった」と、極限まで追い込まれ、決して万全の状態でないまま五輪を迎えた。
本番では団体チーム6人のトップバッター。「無我夢中でよく覚えていない」ほどの重圧を感じながらも大役を果たし、日本はソ連、チェコスロバキアに次ぐ銅メダルを獲得した。
五輪を区切りに引退。その後は国際審判としてソウル五輪でジャッジを行った。
現在も体操教室
1995年に発足した南区体操協会の会長を現在でも務める。永田北や六ツ川で行われている体操教室では主に高齢者を指導。「体を少し動かすだけで締まってくる。それを見ているだけでも嬉しい」という。
48年ぶりメダルも
東京五輪時は「『女性はスポーツができない』という風潮があった」と振り返る。それから約半世紀。今では女性の活躍が目立つようになった。ただ、体操女子は東京を最後に五輪のメダルがない。「世界に比べると演技に馬力がない」という。ロンドン五輪は田中理恵選手に期待し、「団体はうまくいけば銅メダル」と見ている。男子は「内村航平選手の個人と団体で金を狙える」と予想した。
東京五輪ではメダルが団体チームに1つしか与えられなかった。しかし、2006年、国際オリンピック委員会からレプリカが贈られた。その5つの輪は今でも自宅で輝きを放っている。
南区版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|