中華街の老舗「永楽製麺所」の再起を南区で図る 楯 紳一さん 六ツ川在住 63歳
新天地、麺作りで恩返し
○…多くの店舗に麺を卸していた「永楽製麺所」の社長を8年前まで務めた。今年9月「永楽」は負債を抱えて事業停止に。退任後は経営に関与していなかったが、まさに寝耳に水の出来事。会社のビルに入ることもできず、途方に暮れていたが、娘が営業再開を提案。「『もう一度、麺を作ろうよ』と言われて決意した」。六ツ川の自宅兼工場を急きょ改修。自身の結婚記念日である11月5日、ラーメンと製麺を販売する店舗「永福」を開店した。
○…戸塚区出身。大学時代、「授業が始まる前にできるアルバイトを」と製麺所に。連日、午前3時から9時まで麺を作り続けた。それが縁で経営者の娘と結婚し、麺作りを仕事に選んだ。作った麺を朝から晩まで店に配達する日々。「配達の途中に子どもの保育園の送り迎えをしていた」と懐かしそうに笑う。防腐剤を一切使わず、小麦の香りが漂う麺が評判となり、約20年前には100を超える業者と取り引きしていた。
○…中華街時代は、まちづくりを行う「発展会」の役員として活躍。旧暦の正月「春節」のイベントで中心的な役割を果たした。「15年間春節に携わって、1回も雨が降ったことがない」と”晴れ男”を自称する。横浜ベイスターズを応援しようと、工藤公康投手が移籍してきた際には「工藤ランチ」を名前にちなんで910円で各店が提供することを企画。アイデアマンとして活動する原動力は「まちを良くするために恩返しがしたい」という一心だ。
○…営業再開を知った人々が連日、ラーメンを食べようと店に列を作る。「近所の方からいっぱい声をかけてもらい、本当に感謝している」。自宅そばの坂を上り、深呼吸と体操をするのが日課。スキーや登山が趣味だが、今は「自分でやるのは10年ぶり」という麺作りに没頭する。「ここを本店とし、中華街に支店を出したい」。家族で原点の地に帰ることを約束し、新天地で第一歩を踏み出した。
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