中国残留孤児の様子を収めた写真集「哀愁の大地」を出版した 西村 建子さん 宮元町在住 75歳
カメラ越しに心通わせる
○…終戦後の混乱で旧満州から日本に帰国できなくなった中国残留孤児。1983年から86年まで黒竜江省で撮影した孤児たちの様子を一冊にまとめた。当時は孤児が肉親を捜すために来日し始めたころで「なぜ40代、50代の大人が『孤児』と呼ばれて日本に来ているのか」と疑問を抱いた。答えを見つけようと、83年、日中友好団の中国入りに同行し、残留孤児の撮影を開始。30年以上を経ての出版に「戦争や平和を語ることが多かった戦後70年の節目に、満州の穏やかな様子を残せた」としみじみと語る。
〇…現在も師と仰ぐ、報道写真家・浜口タカシさんの事務所の一員として携わった残留孤児取材。「現地ではカメラが珍しく、持って歩くと、何十人も後ろをついて歩いてきた」と笑う。取材は通訳を介したが「言葉が分からなくても通じるものがある」と断言。興味津々の表情でカメラを見つめる青年の集団を収めた一枚にもそれが表れている。
〇…栃木県・那須出身。会社員時代、山歩きを趣味にし、そこで花を撮影したことから写真に興味を持った。次第に自分が思い描く立体感を表現したいと感じ、南太田にあった「日本写真映像学院」で浜口さんらから基礎を学んだ。「思い切った性格」で、卒業後は会社を辞め、写真家の道を選択した。これまでに横浜の名所を収めた写真集など4冊を出版。「横浜は89年の博覧会を機に大きく変わった。変わる街並みが面白い」という。早朝の港を撮影するため、この20年近くは中区や南区に住む。
○…現在は5カ所での写真教室の講師として多忙を極める。「忙しくて旅行にも行けない」と嘆くが、欧州最大の写真フェア「パリ・フォト」に今回の作品を出品するため、11月の渡仏を心待ちにしている。周囲からは横浜をテーマにした新作を期待する声もある。「まだ考えていない」というが、師から学んだ「何にでもカメラを向ける」姿勢で、記録し続ける。
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