横浜たちばなライオンズクラブの会長に就いた(有)板津農園 専務取締役 板津 菊雄さん 仏向町在住 40歳
いつも「感謝」を胸に
○…「先輩方が作ってきたクラブの伝統を保ちつつ、今あるものを大切に継承していきたい。できることを精一杯に」。地域に根差した社会奉仕活動を行う横浜たちばなライオンズクラブの36代目となる会長に40歳の若さで就いた。クラブに属するメンバーは全員が年上。「みなさんに支えられながら、やらせていただいている。感謝を胸にね」。控え目にそう話す。
○…仏向町で生まれ育った根っからの「保土ケ谷人」。祖父の代から商売を営む家庭で育った。高校卒業後、家業の造園土木会社「板津農園」に入社するも、若さもあってか気の合う友人との交友を優先させる生活を続けた。26歳の頃、「反発もあって」実家を出た。大手ゼネコンを相手にする営業マンに転身。「結果を出せばいいだろう」と一匹狼状態だった青年に当時の上司が放った一言が、今の礎となっている。「お前は我が強い」。自らを客観的に評され衝撃を受けた。「井の中の蛙だった」
○…2年間の営業マン生活を経て実家に戻っていた34歳の頃、作業現場で爆発事故に巻き込まれ首から上に重度の火傷を負った。生死をさまよう大怪我。太ももの皮膚を移植した左首には今もその惨劇を物語る傷痕が残る。退院後、家業を継ぎ、ここ数年は仕事に没頭。「社員とその家族の生活に責任がある立場。中途半端にはできない」。遊びに精を出した若かったあの頃の生活は一変した。「生きていることに感謝するようになった」。首の傷にそっと手を添え、ゆっくりと話す。
○…唯一の趣味が車。庭にはツーシーターの車が止められている。結婚の際、妻との間で交わしたひとつの約束がある。「月に2度、2人だけで出掛けること」。3人の子どもを両親に預け、月2回、夫婦水入らずのドライブデートを楽しむ。助手席に最愛の妻を乗せ。家族と家業を支えてくれていることへの感謝の念がこのエピソードに凝縮されている。
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