―区制90周年記念―【連載【6】】 鶴見90年のあゆみ 「昭和32年〜41年」
【国鉄鶴見事故】
昭和38年11月9日午後9時50分ごろ、東海道線鶴見―新子安間の滝坂踏切付近で発生。先に脱線していた東海道線下り貨物列車に、上り横須賀線が衝突。さらに下り電車に衝突するという多重事故だった。犠牲者161人、負傷者約120人に上り、国鉄の戦後五大事故にも数えられる。
原因は車両自体や速度、積載量などが絡む競合脱線だった。翌年に東京五輪や、東海道新幹線開通などを控えた高度経済成長期。需要増に伴う過密ダイヤや後手に回っていた安全対策が仇になったと言われた。国鉄は事故後、自動列車停止装置(ATS)の設置といった安全対策に取り組んだ。
◇ ◇ ◇
当時、遺体安置所となった大本山總持寺には慰霊碑が建てられ、今も毎日供養が続けられている。
JR東日本横浜支社は、事故を風化させまいと、現場を再現したジオラマを支社内に設置。戦後最悪とされた事故を教訓にしている。
発生現場付近、岸谷一丁目の線路脇には、遺族らにより建立された「国鉄鶴見事故遭難者供養之塔」がある。昨年の発生同日、地元の岸谷第四自治会が初めて慰霊祭を企画した。命の尊さを学ぶ貴重な過去。移りゆく町の中で語り継がれる。
|
|
|
|
|
|
|
<PR>