町内会やPTA、商店街のイベントまで、長く地域活動を支えてきた 石原 録子さん 西寺尾在住 80歳
「出会いは財産」
○…長年、町内会や民生委員など、地域のために奉仕活動に力を注いできた。大口通商店街でのイベントでは、地元の人たちから「福引おばさん」の愛称で慕われる。赤い折りたたみ自転車を乗りこなし、周りから「スピード出すから気をつけて」と心配されるが「この前は家から神大寺まで行って、見たことない道に入ってみたら横浜駅まで行っちゃった」という、80歳の冒険家だ。
○…働き者で「かかあ天下」と言われる群馬県生まれ。夏は暑く、冬は「赤城颪」という地域特有の冷たい風が吹く前橋で育った。村でも有名なおてんば娘で「親戚のイチゴ畑に友人と忍び込んで盗み食いをして怒られてた」と笑う表情は当時に戻ったように輝く。それでもやはり村一番の働き者。戦中戦後の時代、オート三輪に乗り勤労奉仕で農家の手伝いに従事した。
○…「うちの息子の嫁にしたい」と言われるほどだったが「私は町へ行きたかった」。25歳で川崎に嫁いだ。奉仕活動を始めたのは「川崎から越してきて、子どもたちにお友達を作ってほしかった」ことがきっかけ。PTAの活動など積極的に参加し友の輪を広げてきた。「30〜40軒は気軽にお茶しに行ける。友達は財産」。最も記憶に残るのが民生委員。「高齢者のお宅に行くたび『帰らないで』と言われて。1カ月間、毎日同じ人の所へ通ったこともあった」と振り返り「人のためになれる喜び」を感じた。
○…横浜ファン歴50年。「野球の次に旦那かも」。自宅には選手のサイン入りグローブやボールがずらり。中には球場で出会った男性から「おつまみをくれたお礼」にもらったものも。今の目標は「元気なうちに自分の足でもう一度優勝の瞬間を見に行くこと」。ちなみに息子はマリノス、娘は横浜FCのサッカー派だ。オリジナルの手作り味噌は近所でも大人気。みんなに愛されるおばあちゃん。「私、人との出会いって、本当に大事だと思う」
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