区連合町内会長で最年長。60年前から三ツ沢地区の地域活動に携わっている 田中 政一さん 三ツ沢中町在住 89歳
戦争体験が全ての原点
○…三ツ沢連合町内会会長として、精力的に地域と関わっている。自宅はまるで民芸品のミュージアムのよう。玄関をくぐると、ひときわ大きな人形が鎮座しており、書斎には、所狭しと民俗学の文献などが陳列されている。「福祉などの環境は、以前に比べれば格段に良くなった。しかし、超高齢社会に対応するための課題も残っている」と持論を展開。ゆっくりと思い出すかのような語り口だ。
○…大正生まれ。5人兄弟の長男として育った。「幼い頃は苦労の連続だった。当時から豊顕寺の桜の花は美しく、疲れた心を癒してくれた」。太平洋戦争末期、横浜商業の夜学生だった時に軍役を強いられ、終戦まで名古屋の教育隊に属していた。「戦友の多くは戦死した。彼らのためにも、何かしなければ」。後生の育成を使命に生きることを誓い帰郷。横浜大空襲で変わり果てた街並みに驚いた。
○…そうした戦争体験が、民俗学に興味を持つきっかけとなった。以来、文献や書籍を読み漁っている。戦後は、父の営む建設会社で仕事に明け暮れた。生活が落ち着いた約60年前に、念願の青少年指導員となった。その後も、市民生委員の会長などを歴任するなど、地域活動に注力。国や市の視察団の一人として欧米に渡り、日本の遅れを痛感。国や市に対する提案が採用されたこともある。
○…趣味は山登り。30代のころから月1回程度のペースで続けている。「山岳信仰など、古いしきたりのある山が好き。奥入瀬渓谷はとても良かった」。海外旅行も次回のキリマンジャロ登山で50カ国・90回を数える。「ロッキー山脈は最高だった。民族人形があふれてきたので、自宅2階フロアを展示場に改装した」と笑う。酒・タバコはやめた。元気の源は「腹八分目」だ。子どもたちの喜ぶ顔が見たくて、数年前からXマスイルミネーションも始めた。「我々は理想と現実の狭間で生きている。私はその仲人になりたい」
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