信仰と絆つなぐ「巡(めぐ)り地蔵」 伝統の風習も、「お宿」は減少一途
江戸時代から続く風習「巡り地蔵」が今年も馬絹地区にやってきた。今も10数軒の「お宿」が点在する同地区では毎年この時期、地蔵が家々を1泊ずつ巡(めぐ)り、家族や親戚らがあつまって手を合わせる。
この「巡り地蔵」とは、高津区末長の天台宗・増福寺(寺田良則住職)にまつられる延命地蔵尊を年に一度、信仰する家々で巡らせ、ご飯や線香などをあげて一晩泊める風習。史料によると、1788年(天明8年)に高津区新作に住む男性が病気平癒のために地蔵を寺から借りて家に泊めたのがはじまり。馬絹地区では今から約100年前から続いているという。黒塗りの厨子(ずし)に入った地蔵は別名「子育て地蔵」ともいわれ、子どもが生まれた家ではその子の健康を願って地蔵にかけてある涎かけを戴き、代わりに新しい涎かけを奉納する慣わしも今に残る。
「昔、病気の子どもがいたり、子宝に恵まれない家が人づてに噂を聞きつけてお宿になっていったんです」と話すのは馬絹地区で世話人を務める目代由美子さん。お宿は檀家でなくとも務めることができ、1970年代までは寺のある高津区を中心に土橋、犬蔵、有馬、馬絹といった現在の宮前区域、遠くは埼玉県にもお宿があったという。
しかし、戦後以降、地域や社会の変化などで年々お宿は減り続け、現在は馬絹地区に10数軒と有馬2軒、梶ヶ谷1軒を残すのみとなった。馬絹でお宿を務める吉田一男さん(93)は、「今は車だが平成の初め頃まではリヤカーに厨子の入った大きな長持を載せてお宿をまわっていた」と話す。息子の義一さん(67)は「毎年この時期に地蔵さんがまわってくるのが当たり前。できれば残していきたいね」と、地蔵の行く末を心配する。「代々受け継がれてきたものだから、できるだけ続けていきたい」と話す目代さん。蝋燭の炎に照らされた地蔵は、穏やかな表情で時代の流れを見守っているようだった。
|
|
|
|
|
|
|
<PR>
4月19日
4月12日